由緒
舒明天皇6年(634)豊前国宇佐より勧請、神社東の鎮座石の上にわらをとき敷いて奉祀したことから、「ときわら」が荘名の「とよはら」となったと社伝にいう。北島は往古この地が島であったことを示し、豊原荘北島に座す神社で延喜式外の古社、従五位上豊原北嶋明神・上八幡大菩薩・正八幡宮ともいわれ、平安時代には近衛天皇の勅願所・白河・後鳥羽院領の鎮守神でもあった。平安末、山続きの今木城では源平合戦が行われ、また、源氏の武将佐々木盛綱は児島藤戸合戦の折、戦勝を祈願して甲胃・武具を奉納、鎌倉末から南北朝時代には児島高徳の同族といわれる大富・和田・射越氏などが氏子より興って南朝方として活躍した。社殿もこれらの兵火などによって焼失したといわれるが、領家・領主・氏子により造営・神領の寄進が行われた。現社殿は、本殿を大正8年に、他を昭和14年に昔の様式によって鎮座1300年を記念して改築した。
神社を中心に両側に寺坊の建ち並ぶ形は、平安時代の神仏習合(本地垂迹)の形をとどめている今では珍しい古い形で、神仏の分離は藩主池田光政により行われ、寛文6年(1666年)余慶寺本乗院良庸が還俗して神職となり代々相続している。六代業合大枝(なりあいおおえ)は、本居宣長・平田篤胤・藤井高尚の門人で歌人、国学者。「新学異見弁」・「古事記神代記新釈」などの著があり、境内に歌碑・神社東に旧宅がある。
明治3年豊原北嶋神社と社名を改め、明治4年郷社、明治41年神饌幣帛料供進神社となった。
本殿の周囲には多くの神が祀られています。
江戸末期のものです。
菅原道真公をお祀りしています。
二拝二拍手一拝です。
三度おとなえください。
岡山県博に収納しています。
ご家庭でお神札をおまつりしましょう。
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豊原北島神社(トヨハラキタジマジンジャ)
〒701-4232 瀬戸内市邑久町北島1186
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